【祟られ屋シリーズ第17話】 呪いの井戸 : てら…こわす。~怖い話まとめちゃんねる~
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【祟られ屋シリーズ第17話】 呪いの井戸


イサムと出かけたロングツーリングの終盤の話だ。
 
俺たちは、関東の某県に住むマサさんの古い知人を訪ねていた。
ヤスさん……忍足 靖氏は、個人タクシーを生業としており、
呪術や霊能の世界とは基本的に関わりを持たない人物だ。

年齢は70歳を過ぎているはずだが、
その身から発散される『肉の圧力』は老人のものではない。
服を脱ぐと顔だけ老人で、首から下のパーツの全てが厚くて太い。
何かの冗談のような取合せだ。
70歳を過ぎた現在でもベンチプレスで100kg以上を挙げ、
スクワットやデッドリフトはフルで150kg以上を扱うという妖怪ぶりだ。
並のタクシー強盗など返り討ちにされるだろう。

以前、マサさんは、夜間は都内の某大学に通いながら、
ある霊能者の元で修行していたらしいのだが、
その時、ヤスさん宅に下宿していたそうだ。
マサさんの説明では、ヤスさんはマサさんの『空手の先生』だという事だった。

マサさんの母校のすぐ近くには同系の流派の高名な先生の道場があるらしいのだが、
マサさんはヤスさんの指導に拘った。
その気持ちは判らなくはない。
俺自身、70歳を過ぎたヤスさんとまともに渡り合って勝てる自信はないからだ。
俺とイサムはマサさんが使っていたという部屋をあてがわれた。
10畳ほどの室内には何百冊あるのか判らないが、
大量の古い書籍が平積みされていた。
全てマサさんの物らしい。
マサさんが出て行くときに「全て『覚えた』から捨てて良い」と言ったらしいが、
そのまま残しておいたそうだ。

「マサの奴から、兄さんの『治療』のことは聞いている。
 多分、明日の晩あたりに来ると思うから、その時に診てもらうと良いよ」

「……?……来るって、誰が?」

そう聞くと、ヤスさんは小指を立てながら言った。

「ああ、俺の『コレ』だよ」

「?」
 

翌日の夕方、居間でイサムとヤスさんの飼い猫を構いながらゴロゴロしていると、
玄関の扉が開く音が聞こえ、女が一人入ってきた。
30代半ば位の女で、食材でも入っているのだろうか、大きな買い物袋を持っていた。
固まっている俺とイサムに向かって女は言った。

「あの人は?」

「……明けなので、まだ2階で寝ています」

そうイサムが答えると、女は袋を台所に置いて2階に上がっていった。

「先輩、今の人、何なんでしょうね?」

「さあ……。ヤスさんの娘さん……かな?」

「……ですよね~。服装はちょっとアレだけど……
 でも、ヤスさんの娘さんにしては、綺麗な人でしたね」

そうは言ったものの、スキンヘッドの千葉真一といった風貌のヤスさんと
女は似ても似つかない感じで、血縁関係は無さそうだった。


10分ほどすると、ヤスさんと女が2階から降りてきた。
俺はヤスさんに「その女性(ひと)は?」と尋ねた。
女が答えた。

「ワタシは、陳 千恵(チェン チェンフィ)と言います」

「え……っと、チェンフィさんは、ヤスさんとどういった関係で?」

チェンフィは少し照れた様子で言った。

「ん~、ヤスさんのカノジョ……かなw」

俺とイサムは顔を見合わせた。
お互いに言いたいことは判っていた。

『嘘だろ!』

まあ、熟女ブームとやらで、老女に欲情する若い男もいるのだ。
逆のパターンもあっても良いのだろう。
だが改めて思った。
男女関係ってディープだ……。

意外なことに、チェンフィは治療家としてはかなりの人物らしい。
後に木島氏を訪ねた折に聞いたところでは、
俺のような有象無象が彼女の治療を受けることは殆ど不可能なことのようだ。
治療家としての彼女もだが、彼女の祖父がかなりの人物らしい。
小顔に不釣合いな大きな眼鏡。
しま○ら辺で売っていそうなジャージ姿に便所下駄?を引っ掛け、
買い物袋をぶら下げた小柄な女が、そんな人物だとはとても信じられなかったが…。

俺はチェンフィから『移入の法』を含めた数種類の治療を受けた。
今でも定期的にヤスさんの元を訪れ、チェンフィの診察を受けなければならないが、
彼女の治療により、俺は長年苦しんできた諸々の症状から解放されたのだ。
逗留中、俺はヤスさんとマサさんの関係を尋ねた。
軽い気持ちで尋ねたのだが、
俺とイサムはヤスさんの口から意外な話を聞くことになった。
ヤスさんは、マサさんの『井戸』を作った関係者だったのだ。
 

詳しい事情は判らないが、ヤスさんは郷里から東京に『逃げて来た』ということだ。
簡易宿泊所をねぐらに日雇い仕事で食つないでいたヤスさんは、
恋人も友人もなく、孤独を紛らわすために休日は上野の公園で時間を潰していたそうだ。

そんなヤスさんは、一人の男と出会った。
隻腕で足を引き摺って歩く当時50代くらいのその男は、台湾人の傷痍軍人だった。
戦いに傷付いた身体を通行人に晒して小銭を得ていたその男と顔見知りになったヤスさんは、やがて男の分の握り飯を持って公園を訪れるようになった。
台湾に妻子がいるという彼が、なぜ日本に留まり続けているのかは判らなかった。
それを尋ねる気も無かった。
ヤスさんも郷里を捨てた理由は話せないのだ。
尋ねられたところで、結局は嘘を吐かなければならない。
ならば、お互いに聞かない方が良い。
そう思っていたそうだ。

あるとき、ヤスさんは現場での作業中、足に酷い怪我をしたそうだ。
歩くだけでも相当痛んだらしいが、日雇い仕事でその日暮らしだったヤスさんは
仕事を休むわけにはいかない。
無理を重ねた結果、さらに腰まで痛めて動けなくなってしまったそうだ。
仕事に出れなくなって2週間ほどで蓄えも底を尽き、
ねぐらの簡易宿泊所を追い出されホームレスになった。

だが、上野の公園近辺で野宿をしていたヤスさんに救いの主が現れた。
例の台湾人の傷痍軍人、陳さんだった。
陳さんは、ヤスさんを自分のねぐらへと連れて行き、
ヤスさんに飯を食わせ、治療を施した。
まだ若く、しっかりと休養を取れたおかげでもあったのだろうが、
ヤスさんは身動きが全く取れないような激痛から1週間ほどで回復し、
元の体に戻ることができた。

ヤスさんが転がり込んだ陳さんのねぐらは、とある工務店の社員寮だった。
隻腕で歩行にも障害のある陳さんが
建築作業や土木作業に従事できるとはとても思えない。
だが、陳さんは『先生』と呼ばれ、丁重に扱われていたそうだ。
ヤスさんは、そのまま日払いの人夫としてその工務店に雇われ、
寮に住み込みながら働き始めた。
この工務店で職長をしていた喜屋武という沖縄出身の男が
ヤスさんに空手を仕込んだらしい。
だが、喜屋武を始め古株の職人や社員たちは、
ヤスさんやその他の日払い契約の寮住まいの連中とは
仕事上必要な最低限以上の関係を持とうとはしなかった。
ヤスさんは『感じの悪い連中だ』と思いながらも、黙々と日々の仕事をこなし続けた。

ある時、喜屋武と社員の男が、ヤスさんの後から入ってきた男たちを3人ほど連れて、
夜の街に繰り出していった。
男達によると、いい店で高い酒を飲ませてもらった上に、
女まで抱かせてもらったということだった。
その話を聞いて「なんであいつらばっかり!」
と連れて行ってもらえなかった他の2人が不満を漏らした。
ヤスさんは『どうでもいい』と、特に不満を漏らすこともなく、
我関せずの態度をとっていた。
そんなヤスさんに古株の職人の一人が話しかけてきた。

「まあ、腐るなよ。あいつらは『あれ』だからな……」

「あれ?」

「ん、まあ、そのうち判るさ……」

次の週、ヤスさん達はある病院の建築現場に派遣された。
その現場は、労災事故が続き、工事が何度も中断して工期が大きく遅れていたそうだ。
そして、ヤスさん達が現場に入って3日目に大きな事故が起こった。
クレーンで揚重中に玉掛けのロープが外れて資材が落下。
3名の死者が出たのだ。
死んだのは喜屋武が飲みに連れ出した例の3人組だった。
だが、その事故を境に頻発した労災事故はピタリと止み、
工程が順調に進むようになったそうだ。

その後も喜屋武や他の社員が寮の人夫を飲みに連れ出し、
その人夫が事故死すると言った出来事が何度も続いた。
勘の働く奴もいるようで、飲みに連れて行かれたあと寮から逃げ出した者もいたらしい。
ヤスさんも何度か喜屋武たちに飲みに連れ出されたが、
ヤスさん自身は特に怪我をすることもなく無事に過ごし、
いつの間にか日雇い寮で一番の古株になっていた。

そんなヤスさんが、ある日社長に呼び出された。
日雇いではなく正社員にならないかと言うことだった。
ヤスさんが申し出を受けて社員になると、それまでの態度が嘘のように
職人やほかの社員たちはヤスさんに親しく接するようになった。
陳さんの勧めでヤスさんが喜屋武から空手を習い始めたのも、
正社員になってからだ。
そして、以前『腐るな』とヤスさん話しかけてきた男がこう言ったそうだ。

「日雇いの連中とは出来るだけ関わるな。情が移ると良くないからな。
 ……お前も、もう、何となく判っているんだろ?」

社員となって初めて、ヤスさんは、喜屋武を始めとした古株の職人や社員の多くが
ヤスさんと同じような寮住まいの日雇い人夫あがりの『生き残り』であることを知った。
やがて、ヤスさんは『この現場は危ないな』とか『この現場は何人持っていかれるな』
という事が直感で判るようになって行った。
そして、陳さんと喜屋武と飲みに行った折に聞かされたそうだ。

「『ウチ』は普通の工務店じゃないんだ……」

曰く付きの土地での工事で、その土地に捧げる『生贄』や『人柱』となる人間を集めて
派遣することが、ヤスさん達の工務店の『裏の本業』だった。
陳さんは土地に生贄を捧げる『儀式』を執り行うと共に、
『護り』のない人間……家族や友人、先祖やその他諸々との『縁』の無い人間を
見つけ出して集める役目を負っていたのだ。

ヤスさんや喜屋武、ほかの社員たちは『護り』が無いにも拘わらず生き残った、
異常にしぶとく生命力の強い『個体』ということらしい。
そして、その中でもヤスさんと喜屋武は、殊、生存ということに関しては
一種の『異能者』と呼べるだろう。
何故ならば、あのマサさんの井戸に関わって生き残ったのだから。


マサさんの父親が韓国から持ち込んだ『呪いの井戸』の起源は明らかではないそうだ。
『家伝』によれば、百済滅亡の折に朝鮮半島に残留した貴族が、
彼の一族を虐殺し、国を滅ぼした唐と新羅を呪うために作らせたもの…とされている。
この井戸は、半島本土からマサさんの先祖が住んでいた済州島に移設された。
三別抄の乱の折、耽羅に落ち延びた三別抄に同行した呪術師によって
持ち込まれたらしい。
『元』を呪うために井戸を持ち込んだ呪術師は、
三別抄の乱鎮圧後、耽羅総管府により捕らえられ処刑された。

だが、『井戸』とそれに関わる呪法は、済州島三姓神話の『神人』の直系子孫を自認し、神話になぞらえて代々日本の呪術師の集団と縁戚関係を結び続けてきたマサさんの一族に託された。
どうやら、この『井戸の呪法』を作り上げ、伝えてきた呪術師一族も
日本と深い関係があり、代々マサさんの一族とも接触があったようだ。
マサさんによれば、その『効果』は兎も角、井戸の呪法の縁起自体は
恐らくハッタリを含んだこじつけだろうという事だった。
だが、マサさんの祖母と母親が日本人なのは確かだということだ。

マサさんの父親が『井戸』を日本に持ち込む切っ掛けとなったのは、
8万人にも及ぶ住民虐殺事件である『済州島4・3事件』だったらしい。
マサさんの父親は、同じ韓国人でありながら、
同胞である済州島民の虐殺と島の焦土化を命じた大統領の呪殺を試みたが失敗した。
以前にも少し触れたかと思うが『天運の上昇期』にある人物の呪殺は非常に困難なのだ。
彼の大統領は狂人であったが、同時に巨大な『精神的質量』
あるいは『恨』の持ち主だった。

やがて彼は、韓国を追われハワイに亡命した。
そして、真偽は不明だが、そこで『呪詛』を仕掛けた。
建国の父であり『王』たるべき自分を4・19学生革命で追い落とした韓国の民衆と、
彼の積年の『恨』の対象である日本に対する呪詛だ。
実際に『呪詛』が仕掛けられたのか、その呪詛が功を奏したのかについては、
俺に判断することはできない。
だが、『呪詛』が本当ならば、
韓国民の意識ないし精神の『流れ』が、
異様な程に強烈な『反日』へと流れ、
固定化される切っ掛けのひとつには成り得たと思う。
一個人の強烈な精神が民衆を煽動し、破滅まで突き進んだ例は他にもあるからだ。
朝鮮人がその精神の深奥に抱き続けた日本への漠然とした『恨』は、
今や巨大なうねりとなって民族全体の『呪詛』に育っている。


人を呪わば穴二つの言葉通り、呪詛は必ず仕掛けた者に返る。
仕掛けた相手を『護る』力と共に。
朝鮮民族、特に韓国民が日本や日本人に向けた呪詛は、
やがて彼ら自身に強烈な『呪詛返し』となって返る。
強大な日本の『護りの呪力』と共に。
強大な日本の呪力は、呪詛返しとして一旦発動すれば、
もはや誰にも止められず、朝鮮民族を滅ぼすだろう。
日本人の精神の深奥に蓄積し続けた『呪詛返し』の内圧もまた、
彼らの向けた『呪詛』に呼応して上昇を続けているのだ。
朝鮮民族に呪詛返しとして返る呪詛のエネルギーは
朝鮮人自身のものでなければならない。
日本国内に危険な『呪いの井戸』と『井戸の呪法』を持ち込むことが許され、
マサさん親子が『井戸の呪法』にこだわった理由だ。
日本に移ったマサさんは、朝鮮人と朝鮮人に関わる呪詛やその他諸々の
『悪しきモノ』をその身に受け、『井戸』に送り込み続けた。
 
ヤスさん達は、とある土地に送り込まれた。
この土地は、木島氏たちが所属する呪術団体が管理する地脈の空白地帯
『ゼロ・スポット』の一つだった。
工事は、韓国から来た呪術師と台湾人呪術師……
マサさんの父親と隻腕の傷痍軍人・陳さんの手による儀式と並行して行われた。

工事現場には一人の少年がいた。
韓国人呪術師の息子だ。
まだ、日本語に難のあった暗い目をしたこの少年に、
ヤスさんと喜屋武は、彼の気が紛れれば良いと思って彼らの空手を仕込んだ。
既に心得のあった少年は、ヤスさん達の教えを驚くべき速さで吸収していった。
この少年がマサさんだった。

やがて、工事は完成した。
だが、ヤスさんの周りで次々と怪死事件が起こった。
『呪いの井戸』建設関わった工務店の社員、……
皆、曰く付きの危険な現場に『人柱』として送り込まれても尚、
生き残ってきたしぶとい連中だったが……
陳氏と喜屋武氏、そしてヤスさんの3人を除く、
社長をはじめとした社員24名が井戸の完成後3年間で死に絶えたそうだ。

陳氏は、井戸の工事の完了後、故国の台湾へと帰っていった。
会社が潰れてしばらくの間、喜屋武氏は知人の沖縄料理店を手伝っていたらしいが、
やがて同郷の人間に誘われて南米へと移住した。
何処にも行く当てのないヤスさんは、タクシー会社に就職し、
定年後、個人タクシーを始めた。
陳氏とは、彼の帰国後も連絡を取り続け、
ヤスさんを頼って孫娘のチェンフィが来日。
独り者のヤスさんの身の回りの世話をしているうちに現在のような関係になったそうだ。


俺は、ヤスさん、そして儀式を行った呪術師の孫であるチェンフィに
井戸について他に知っていることはないか訊ねた。
『井戸の地』で俺やイサム自身が見聞きしたことを全て話した上で……。
ヤスさんによると、井戸を掘り終わったあと、井戸に『黒い石』で蓋をするまでは、
『井戸』や井戸のある土地に打たれていた鉄杭はまだ無かったそうだ。
チェンフィによれば、井戸を『黒い石』で塞ぎ、鉄杭を打ったのは、
恐らく、チェンフィの祖父だろうということだった。
どうやら、台湾にも『悪いモノ』を『井戸』に封じ込める呪術があるようだ。
マサさんの父親がどんな儀式を行っていたのかはわからないが、
彼が毎晩儀式をしている間は、一般人でも判る程に『空気』が重くなり、
あの地にいた者はみな一様に激しい頭痛と耳鳴りに襲われたそうだ。
そして、チェンフィの説明によると『地光』と言うらしいのだが、
井戸の周りの木々の葉や、岩が赤く薄ぼんやりと発光していたらしい。
俺には、確認したわけではないが確信があった。
恐らく、マサさんの父親は『三角陣』を用いた儀式を行っていたのだろう。
韓国、恐らく済州島にあった『井戸』から、三角陣を用いてオイラー線に乗せて
日本に新たに作った『井戸』に井戸の中身を送り込んだのではないだろうか?

ヤスさんによると、井戸に『黒い石』で蓋がされる前に、
ヤスさん達は井戸の中に『何か』を入れた。
鉄枠で補強された各辺20cm位の立方体の頑丈そうな木の箱だったそうだ。
中身は何か判らないが、20kg位の鉄か何かの塊が入っていたようだ。
現場に派遣されていた社員たちは、
マサさんの父親に木箱を井戸まで運ぶように指示された。
だが、誰も木箱を持ち上げることができない。
何とか持ち上げることが出来たのはヤスさんと喜屋武氏だけだったらしい。
ヤスさんと喜屋武氏は井戸まで箱を運び、
二人で箱を井戸の底まで下ろしたそうだ。
箱を持ち上げることのできたヤスさんと喜屋武氏の身に
特に変わった事はなかったらしいが、工事と儀式の完了・撤収後、
その『箱』に触れた者たちが次々と命を落としていった。
そして、謎の死は現場に派遣されなかったほかの社員たちにも広がり、
結局、工務店の社員は社長を含め、ヤスさんと喜屋武、そして儀式の終了後、
すぐに台湾に帰国した陳さんを除いた全員が相次いで命を落としていった。


ヤスさん宅に俺とイサムは3週間ほど逗留し、俺はチェンフィの治療を受けた。
「半年に1回は診察させてもらわなければならないけれど、
 肉体的な問題はもう大丈夫。
 精神的な問題はあなた次第だけれども、
 肉体的不調からくるものは徐々に消えるでしょう」

ヤスさん宅を出た後、俺とイサムは地元に戻った。
シンさんやキムさん、空手道場の師範などに挨拶して回った。
イサムとマサさんの許を訪れ、イサムの姉に旅立ちの前に渡された石のお守りを返して、俺はイサムと別れた。
挨拶回りが終わり2・3日休んでいると、木島氏から連絡が入った。
俺は以前交した約束に従って、木島氏の許に向かった。


おわり


次回の話を読む


【引用元:死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?

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